食物アレルギー免疫療法


2016年9月8日(木)天候:曇時々雨


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私は母として、この日を忘れない。

今日ほど息子を誇りに思い

尊敬の念を抱いたことはなかった。

金メダルをあげたいほど本当に頑張った。

自分との闘いに打ち勝った息子を心から誇りに思います。

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以前、当ブログで我が子の食物アレルギーについて少し触れましたが
この日は、私と長男にとって特別な一日となりましたので

記録の意味も込めて記したいと思います。


私の子供たちは、3人ともアナフィラキシー

それぞれの子供たちが該当する食品も違います。


みなさんもご存知のように

”食物アレルギー”といえば…

以前は「一切食さない」という

除去することが主流の治療法でした。

実際、息子も1歳半の頃から除去を続けていました。

しかし約2年前からは、少しずつ食べさせて免疫力をつけるという

治療が導入されはじめました。


当時6歳だった息子に、この治療を説明したところ

「僕、食べれるようになりたい!」と言って

自分の該当する数種の食物アレルギーの中から

自らの意思で牛乳」を選び、治療をする事を決意しました。

同時に、この日を境に…

私たち親子にとっては先の見えない治療へ…闘いの始まりでした。



治療を始めた当初の予定では

「治療期間は約1年」と言われて始めた免疫療法でしたが

気付けば今年の8月で2年が経過していました。


いくらアレルギーを克服する為の治療とはいえど

身体が拒む物質を…自らが体内に取り込み

少しずつ少しずつ免疫力をつけるという、そんな過酷な試練の日々。

怖くないはずはありません。

辛くないはずはありません。

治療開始から1年を迎え、担当医の先生から

「残念ですが、もう少し治療を続けなくてはいけません…」と

治療期間の延期を伝えられた時…

息子にとって、決して楽ではなかった一年という治療期間。

それが、やっと終わると信じて試験結果を待っていた矢先に

担当医に告げられた言葉…

どれだけ重く、どれだけ辛く悲しく感じたでしょうか…


口では「うん、大丈夫!まだ頑張る!」と言っていましたが

開始してから一年という期間を振り返るだけでも

辛く厳しい日々だったと思います。

私は、いつも側に居て見守ることしかできない。

励まし、応援することしかできない。

幼き息子の苦痛を代わってやることもできない。

正直、母として胸が痛みました。

時には飲みたくない、食べたくないと

治療を拒み、大泣きする幼き息子を説得し

そして時には、あまりの辛さに自分の心が折れて

「やっぱりやめようか?先生に相談しよう」と思う

気持ちを心の奥底に押し込み…

自分に”息子のため”と言い聞かせ、強く叱った時もありました。

出来ることなら本当は叱りたくない、皆が仲良く笑って過ごしたい。

いつもニコニコしている優しい母親でありたいと願った。

そんな願いが、一瞬でも頭に浮かぶだけで…辛過ぎた。


この治療は、息子の「頑張りたい!食べれるようになりたい!」と思う気持ちと

母として「将来の息子のために!」と、覚悟を決めて踏み出した一歩…

しかし自分たちの予想を遥かに越える、壮絶な日々…


                                

牛乳も、ほんとに”一口”が飲めなくて

どれだけ時間が掛かったか…

苦しすぎて涙を流した回数なんて数えきれない…
心を鬼にして、泣いては苦しむ我が子に

乳製品を食べさせなければならない…


何度心が折れ、諦めかけたことか…。


だけど私も、もちろん息子も諦めなかった。


もちろん治療を始めた時も、今も…
この治療に踏み切ったことが、正解だったのかどうかは分からない。
”息子のため”と言い聞かせてはいるけれど…

本当にそうなのかどうか…


そんな想いと葛藤しながら、ついに今日…

ステップアップのための運動誘発検査を行いました。

主な取り組みとしては

・200ccの牛乳を飲みはじめるまでに1時間。飲むのに…1時間
・検査を始めるのに…1時間
・飲みはじめてから腹痛が治まるまで…数時間
・その間、心拍数を上げるために走り続けること…10分間
ひたすら励まし続け、待つ

この時間が、どれ程辛くて過酷な時間だったことか…
「どうする?もうやめる?」と私や担当医からの問いかけにも

「やる!頑張る!」とハッキリとした口調で答えた息子。


私は涙をこらえるのに必死だった。


お腹の痛みと闘いながらも、検査器具をつけて走り続ける息子…

そんな息子の走っている後ろ姿を見ていると

いつもは小さな小さな背中が

今日は、いつもより たくましく、大きく見え

思わず「かっこいい」と感じてしまった。


運動誘発検査の終了まで、ラスト10秒

カウントダウンの時、苦しみに耐えていた顔が

終了と同時に、やっと笑顔になった。

やりきったという達成感で溢れていた。


私は言葉にならない、なんとも言えない気持ちで

ただ涙を堪える事に必死だった。

そして心の中で小さくガッツポーズして

息子に金メダルを与えてました。



今回の検査で2年間という長期間の治療を耐え抜き

”給食のみ”という条件が付きですが

念願の乳製品除去解除。(牛乳は飲めません。)


やっと小さな希望の光が差し込みました。

今は、まだ…小さな小さな希望の光です。

まだここはゴールではありません。

ステージ1からステージ2へ一歩ステップアップした…

そんな感じです。

今後も、新しいステージでの治療が続きますが

今回の出来事は、息子にとって

もの凄く大きな大きな”自信”となったはず。

2年前、自らの意思で決め

あの日を境に彼の中で何かが変わり

なにがなんでも克服すると自分に言い聞かせて過ごしてきたこと。

そして辛かった日々を耐え抜き、乗り越えたこと…

私にも、共に暮らす幼き妹や弟、家族にも彼の喜びと自信が伝わってきました。

きっと、この2年間…時には私の事を”鬼のような母”と思ったことでしょう。

…本当にごめんね。

そして本当に、ここまで無事に乗り越えてくれてありがとう。

まだまだ、先の見えないゴールだけど…

これからも、一緒に前に進もう。

私が、どんなに厳しく叱った日も

夜、一緒に布団に入って寝るときには

「かあちゃん、大好き〰」と言って

私を支えてくれている幼き息子。

長男として兄として、同じ症状を抱えてる下の子2人にも

希望を捨てない勇気を強く与えてくれたと思う。


そんな私は、母として、まだまだ半人前ですが

私は調理師として就職し経験したこと、培った知識を活かし

私の出来る事を、色々と試行錯誤してきました。

アレルギーを持つ子は繊細で、ちょっとした事でも敏感に反応してしまいます。

食事療法といっても安全で安心な食材を使い栄養のバランスを考えて

アレルギー対応食でも、おいしくなるよう工夫して食べさせているだけです。

市販の粉末出汁やドレッシング類、惣菜も買わなくなりました。

可能な限り、自分で作っています。

そして家の畑で採れた無農薬野菜を中心とした食生活にしたことで

子供のみならず一緒に暮らしている家族(大人)…

特にお酒が大好きな父に関しては、医師から長年指摘されていた

数値が下がり、目に見えて、いい方向に変化してきました。

「口に入れる食材を安全な食材に変えた」ただそれに徹底しただけで…


これは、私がfoodmaricoとして料理教室、離乳食教室、出張シェフ、無添加ジャムの販売などの活動を始めたキッカケでもあります。


最後に息子に向けて一言…

辛いことを経験し乗り越えた人ほど強くなり優しい人になれる… 

きっとこの子は、そんな優しい人になるだろう…そうであってほしいと願う。


皆様も笑顔で過ごせますように。

こころとからだに笑顔を…


food marico


いつも写真でお世話になっているカメラマンさんに

今回のブログに使う写真を相談したところ

その内容なら、この曲とか合うんじゃないかな?と

写真と一緒に素敵なを教えて頂きました。

「You Raise Me Up」(ユー レイズ ミー アップ)

アイススケートの大会で荒川静香さんが使用したことで

日本でも一気に有名になりましたね。

今回は原曲ではなく翻訳付きのコチラを教えて頂きました。

You Raise Me Up  [日本語訳付き] MARTIN

歌詞が心に染みます…ありがとうございました。


Photo:TakashiOnda












Food marico

「こころとからだに笑顔を…」 アレルギー対応食調理師 フードコーディネーター 野菜ソムリエ 離乳食教室 料理教室 出張シェフ等で活動中。 重度の食物アレルギーを持つ 3児の母の 日々の綴りと アレルギー対応食の 美味しいレシピを 随時公開中です♪